「井の中の蛙」は幸せ!?

コラム

「井の中の蛙」という誰もが知るこのことわざ。

・視野が狭い
・見識が浅い
・限定的な物の見方

などなど、一般的には、悪い意味で使われるケースが多いです。

そのため、
『「井の中の蛙」になることはダメなこと』
として認識している方も少なくないのではないでしょうか。

しかし、このことわざには、あと2つも続きがあることをご存知でしょうか?

今回は、「井の中の蛙」を題材に、

  1. 幸せの価値観
  2. 自分の在り方

について、皆さんと一緒に考えたいと思います。

1.「井の中の蛙」のはじまり

もともとこのことわざは、戦国時代の宋国の蒙に生まれた思想家 荘子の秋水編の中に出てきます。

大雨によって、あらゆる川の水が黄河に流れ込んできた結果、黄河の神「河伯(かはく)」は世の中の良いもの全てが自分のところに流れてきたと思い込みました。しかし、やがて河伯は流れに沿って北海に達します。

ここで河伯は北海の神「北海若(ほっかいじゃく)」に対して、「私はこれまで実にうぬぼれていた。あなたの計り知れない大きさを見て、上には上があるものだと知った」と嘆きました。

すると北海の神「北海若(ほっかいじゃく)」は、「井の中の蛙に海のことを話してもしかたがない。蛙は狭い自分の棲み家になじんでいるのだから。」と返答しました。

これが、このことわざの元部分に当たります。

そのため、「井の中の蛙」は「井の中の蛙大海を知らず」
と表現されることもあるようです。

大海を知ることで、

・自分自身をより客観的に見つめ直すことができる
・あらゆる事を検討する事で自分の考えを研ぎ澄ませる
・視座を高めることができる
・新たな選択肢/可能性を検討できる

ようになる、というわけです。

2. まだ続きがある?

井の中の蛙には、「大海を知らず」という続きがあることは先に書いた通りです。
しかし、この言葉が日本に伝わった後、その続きが付け加えられたことはご存知でしょうか。

それは、

「井の中の蛙大海を知らず、されど空の深さ(青さ)を知る」

です。

意味は想像に難くないですが、
「たとえ、井戸の中で生まれ育った蛙だとしても、水面に映る空の青さを知ることができる」という意味です。

ここで、
『井の外に出ること(=大海に出ること)の本質を空(世界)の広さを知ること』
とするのであれば、このことわざの意味は、
『井の中にいようと、どこにいようとそれができる
という意味になります。

井の高くて厚い壁を突破するために身を粉にするよりも、むしろ、

『「井の中で自分ができること」に一生懸命取り組んだり、
「井の中だからこそできること」にも力を入れること』
でこの蛙はより「幸せ」に暮らすことができるかもしれません。

そもそも、井の中で暮らしている蛙が外に出ようとしている時、
当然「大海が存在すること」すら知らないはずですから、

蛙が壁を越えようと努力しているとき、
蛙はただひたすらに「可能性」を信じている、ということになります。

ですが、この蛙が何らかの手段を使って、
すでに外の世界(どこに、湖や川、大会が存在するのか)を知っているとしましょう。

この蛙は、「井の中を出たい」と考えるでしょうか?
それとも、「井の中で暮らしていたい」と考えるでしょうか?

さらに、

・いつ慣れ親しんだ井が崩れるか分からない
・外敵が迫ってくるかもしれない(=今までの生活だと暮らせなくなる可能性が高い)

とするとどうでしょうか?

皆さんの意見は変わりましたか?

もちろん、どっちもいるでしょう。

では、あなたがこの蛙だった場合、どちらを選びたいですか?
ここがポイントなんです。

3. 大切なのは「自分の意思」

これまでに見た通り、我々が一般に認知している「井の中の蛙」は、一概に悪い事ではないことが分かりました。

結局、
井の中にいようと、大海に出ようと、どんな環境にいようと、
本質は変わりません。

もっと本質部分で大切なのは、
「自分がどうしたいか」、「どうなりたいか」について考えることです。

ITが発達したことであらゆる情報にアクセスできるようになった私たちは、
井の外に出る前に「外の状況」について調べることができます。

加えて、

これからどのような「環境の変化」が起きるのか

についても、事前に調べその対策手段も溢れています。

それらを十分に検討した中で、

・自分が井の外へ踏み出し、大海に出たいのか
・それとも、井の中であなたの好きなことを追求するのか
・そして、それはなぜか

あなたはどう考えますか?

「自分の意思」に素直になれた時、

あなたは、あなたの「幸せ」をつかめるかもしれません。